< 2026年 4月 店主の独り言 >

 今月は小樽のお話し。

 当社が納品しています朝里川温泉の宿、蔵群(クラムレ)様のリブランドオープン・レセプション(お披露目会)が3月にあり、家内と共に参加して来ました。お一人様一泊食事付きで約10万円という、普段は縁のないゴージャスな世界を一目見てみたいという好奇心からの参加です。この宿は2002年5月にオープンし20年以上営業を続けて来ましたが、建物はそのままに運営する会社が変わり、2026年春よりリブランドオープンされたそうです。創業時の設計は札幌の建築家、中山眞琴氏。約820坪の土地に630坪程もの石蔵風の建物を建て、客室はたった19室という贅沢な造り。そして今回の改装も同じ中山氏に依頼し、外見はそのままに室内の更なる磨き上げを行ったそうです。

 今後は宿の営業プランとして、小樽の伝統的なお食事と北海道内のワイナリーとのペアリングを進めるようで、今回のお披露目会には葡萄農家さんやワイナリーさんも多く参加されていました。多分ここに宿泊される方々は、道内の方は少なく関東、関西や外国の方が多いでしょう。隠れ家の様なお部屋の様子や豪華な設備は宿のホームページを見ていただければ、料金も含めて納得できると思います。そしてこの宿の新しい運営会社は全国でも四国、九州、離島のような営業的には難しい場所で営業し、世界的な評価レベルで賞をいただいているそうです。実際にお部屋等を見せていただき、この素晴らしい宿に納品できる事を光栄に思えました。

 実はこの日、小樽でもう1軒寄るところがありました。小樽駅の隣にある三角市場から徒歩2分程の船見坂(フナミザカ)のカフェ「坂と線路とバゲットと」さんです。偶然ですが、こちらも蔵群様と同様に運営会社が変わって、今年3月リニューアルオープン。こちらも当社からワインを納品したので、蔵群様の後にご挨拶に伺いました。石造りで黒い色調の蔵群様とは対照的に、こちらは絵本に出て来そうな可愛らしい真っ白な三角屋根のおうち。焼きたてのパンが楽しめるこのカフェのお客さんは間違いなく女性で、その日も店内に男は私一人でした。急な坂と線路が交差する場所にある積み木の様な白い三角屋根は、ここに来た人だったら誰もが記念撮影したくなる魅力を持っています。

 このカフェでコーヒーを飲んだ後はJR小樽駅の売店へ。ここで私が好きな「くっちゃん・えぞふじ納豆」を数個買ってスタッフのお土産にします。たれ無しの納豆が上下で2個、赤い色のビニールパックになっている物で、糸引きが良く納豆の香りも強めで子供の頃に食べた味を思い出します。さて、今回伺った2軒のお店は共に前オーナーから新オーナーが引き継ぎ、更に魅力を磨き上げた形で再出発をしました。今流行りの言葉で言うと「M&A」なのでしょうが、この2軒は細部のリニューアルはしても、共に創業者へのリスペクトが感じられて、こういった形で進化するのは理想の姿に思えました。小樽に出来たこの2軒は共に人気のお店になる事でしょう。

< 2026年 3月 店主の独り言 >

 今月はカフェのお話。

 家内はカフェ好きですが、近年はコーヒーではなく日本茶のカフェがお気に入り。なんでも2025年11月に札幌で行われた「日本茶AWARD2025三次審査 北海道会場」で出品された20種の厳選された日本茶と同じ物を、2026年2月に再度飲み直すという集まりに家内と共に参加しました。会場は家内が時々伺うお店「日本茶にちげつ」さんで、参加者10名程の小規模な会でした。男性は2名のみ、僕以外は皆さん顔見知りのようで、僕だけがアウェー感を持って参加。昨年の日本茶AWARD2025では同じ20種のお茶をブラインド(銘柄名を明かさずに)で試飲したそうですが、今回は銘柄名とそのお茶の説明等を聞きながらの試飲でした。

 ワインの試飲はいつもしているので、日本茶の試飲も何とか出来るのでは?と思って参加しましたが、真剣に2時間近く試飲をするとヘとヘとになりました。20種の日本茶リストには、お茶の分類、生産者名、産地の県名、商品名、価格、急須に入れる茶葉のグラム数、注ぐお湯の温度と蒸らす秒数など様々な情報が書かれています。僕は煎茶、ほうじ茶、ぐらいしか知らなかったですが、一番茶、二番茶、釜炒り、深蒸し、更にお茶の品種名で、さえみどり、やぶきた、あさつゆ、つゆひかり等々、とにかく知らない言葉だらけ。渡されたテイスティングノートに自分の言葉でコメントを書きましたが、色も香りも味わいも全て異なりますが、みんなおいしいお茶なので順位を付けるのが難しかったです。

 当たり前の事ですが、品質を正しく評価するには経験値を上げて、自分の頭の中に全体を測る「ものさし」が出来ないと、「好き」か、「嫌い」ぐらいしか言えないことが分かりました。勘違いしやすいのですが、自分は感度が高い舌を持っているのでは無く、ワインの試飲に関しては経験値が一般の方よりも高いだけなんだと気付かせてもらえました。まずはその仕事が好きで真剣に取り組み、更に経験値が上がる事で少しずつプロフェショナルへなって行くのがどの業種でも同じなのでしょう。知らない世界を体験することで、自分の仕事を改めて客観視することが出来て貴重な体験となりました。

< 2026年 2月 店主の独り言 >

 今月はご近所さんのお話。

 暮れも押し迫った2025年12月13日、当店と同じ南3条西3丁目にあるS3中屋ビル 1階に「スターフルーツ」さんという名の東京の八百屋さんがオープンしました。当店にワインを買いに来た飲食店さんから「すごく安くて新鮮で、お客さんが店の外にまで並んでいるよ!」と言われて見に行くと、南3条通り沿いで北向きのビルの1階ですが、路面沿いではなく店舗はビルの奥にあるため、手書きで「スターフルーツ」と書かれた黄緑色の看板を目印に歩かないと通り過ぎてしまいそうです。

 店内に入ると驚きの値段!イチゴ3パック1000円、長ネギ3本100円、キュウリ3本100円等々。こりゃ並んでも買っちゃうわと、私もイチゴを3パック買って、1つは店のスタッフと共に食べて、1つは息子夫婦に、最後の1パックを自宅用にしました。当社に寄ってワインを買われる飲食店さんに「スターフルーツ」の事を伝えると、皆さん直ぐに行かれて大きなレジ袋一杯の買い物をされています。円安もあって当社でもワインの値段はどんどん値上がっていますが、スーパーも同様で食材も何もかもが値上がっています。そんな状況下で、このお店は財布の中身を考えずについ買いすぎてしまう様な八百屋さんです。

 フジヰの先々代は札幌の北1条西3丁目で果物屋として営業していました。そして今、ご近所に「スターフルーツ」という青果の超繁盛店が出来たのもご縁を感じます。このお店に行く際に当社ワインショップフジヰにもお寄りいただけると感謝しかございません。このお店の様な価格破壊までは出来ませんが、当社も美味しいワインを探し続けていますのでよろしくお願いいたします。そしてこれを機に果物とワインのお買い物は南3条西3丁目界隈にどうぞお越しください。スターフルーツさんは水曜が定休日で、営業は10時から夜8時までですが、商品が無くなると早じまいすることもあるようです。それと開店前はお客様が並ばれるので、この時間を外した方が良いでしょう。

 最後に、昨年末は店舗オープン記念の特別価格だったのでしょう。年明け後の価格は昨年よりは多少上がって、イチゴは3パック1300円でした。これでも1パック440円弱ですから、一般な価格の600~700円から見たらお得だと思います。ご興味ある方は是非一度スターフルーツさんに行って、今の価格と品質をじっくりご覧いただければ、お値打ちな果実や野菜が見つかると思います。

< 2026年 1月 店主の独り言 >

 今月は料理のお話し。

 何度かここに書いていますが、僕は休日に500~600g以上の塊肉を焼くのが趣味です。厚さ4センチ以上はあるお肉の内側をロゼ色になるように火を通すのはコツがいります。でも、何より一番大変なのは4センチ以上のお肉を入手することです。そんな時に見つけたレシピ本が稲田俊輔(シュンスケ)の「ミニマル料理」でした。本の最初に出ている茄子の醤油煮を作り、次にスーパーのトレーに入った挽肉をトレーのまま少し押し固めて焼く、学生ステーキを作りました。正直、ここまでは想像通りの味でしたが、学生ステーキの上級品、プレミアム学生ステーキには驚きました。この上級品は牛ひき肉半分に、牛こま切れ肉半分と塩、コショウをボウルに入れてよくこねてから焼くステーキです。

 見た目はただの大きなハンバーグなのですが、噛むとこま切れ肉の筋がちょっと感じられて、味わいはステーキ肉に近いのです。先日、友人が来たので、牛、豚の合い挽き400gと牛のこま切れ肉400gに塩6g、コショウ1gをこねて焼き上げました。合い挽きと牛のこま切れ肉はどこのスーパーでもあるので、今までの塊肉を探す苦労からやっと解放されました。さて、今回の肉の厚さは6センチ以上、フライパンに入れて表と裏をゆっくりと火力を変えて焼き、更に引き出し式の魚焼き器に入れて火を通します。その間に肉を焼いたフライパンに残った油で、マッシュルームやジャガイモを炒めて付け合わせにします。

 この特大ハンバーグ800g強を4人で完食し、その後、皆でなべ料理をいただきました。この本の作者、稲田俊輔氏は京都大学を出てサントリーに入った秀才。調理さんではなく理系の頭を持った方だけに、料理に対する考え方がちょっと違います。食べる人はどう感じて味わうのかを考えて、そこそこの柔らかさと、僅かな筋が歯に引っかかる感じが本物の塊肉の醍醐味と考えて、挽肉半分にこま切れ牛半分を練り込むことで肉の触感を再現しています。

 調理の仕事は下働きから、先輩の仕事を少しずつ覚えて、一人前の料理人になって行きます。牛だ、鹿だ、あるいはどこの部位かはもちろん大切ですが、このプレミアム学生ステーキは安価な挽肉とこま切れ牛を使って肉好きが喜ぶ味わいに仕上げるという手品の様な料理です。肉好きな方でしたら料理本「ミニマル料理」を買っていただき、この安価で豪快なステーキを是非一度作ってみてください。

< 2025年12月 店主の独り言 >

 今月はワインのお話し。

 酒組合の関係で11月、小樽にある北海道ワイン株式会社(おたるワイン)のワイナリー見学に酒小売店仲間10名で行ってきました。当社は多品種の北海道産ワインを扱っていますが、近年は家族経営の小規模ワイナリーが人気で、私も小さなワイナリーばかり訪問し、最大手の「おたるワイン」さんにはご無沙汰でした。場所はJRの南小樽駅から車で15分程、毛無(ケナシ)峠に向かって登って行くと山の中腹にワイナリーが見えてきます。ワイナリーの入り口は平屋で大きくは見えませんが、実は斜面に沿って下に建物が何棟も繋がっている為、建物に入ると醸造タンクの大きさと本数が尋常ではありません。

 外国の葡萄を使わず、日本で栽培した葡萄を発酵させた「日本ワイン」の全国シェアで10%、北海道内の葡萄を発酵させたワインの約半分をここで造っています。私も何度かお会いした「おたるワイン」創業者の故島村さんは元々、小樽で紳装(シンソウ)という紳士服の会社を経営されていました。出身は山梨の葡萄農家だったそうですが、仕立てに使う生地の自動裁断機を見にドイツに行った際にドイツの気候が北海道に近く、たわわに実った葡萄を見てドイツの葡萄品種だったら涼しい北海道でも育つのではないかと思い、仕立ての仕事と共に葡萄栽培を始めたエネルギッシュな社長さんでした。

 ただ実家の山梨と北海道の気候は全く違うので、2名の社員をドイツへ3年間留学させて北海道に適した葡萄栽培と醸造を学ばせ、ドイツの葡萄品種を北海道に送り栽培を始めたそうです。ワイナリーは小樽で創業し、葡萄は縁のあった浦臼町に自社畑を作りました。こうして畑と醸造所を分けた事が、後に余市という道内最大の果樹産地の葡萄も入手出来る事になります。余市は元々リンゴの産地でしたが、リンゴの価格が暴落した時期にサクランボや葡萄に転換する農家にドイツの葡萄品種栽培を勧める事で、浦臼の自社農園とは別の葡萄を得る事が出来ました。

 現在、紳士服部門は廃業しましたが、1976年当時で売上が35億円もありオーダーメイド紳士服の全国大手だったそうです。その後、葡萄栽培、ワイナリー創業をして、国産葡萄から造られた「日本ワイン」の筆頭に立つ北海道ワイン株式会社(おたるワイン)。施設見学の後に沢山のワインを試飲しましたが、やはりこの規模で造るスパークリングワインは、品質と価格が他の追随を許さないレベルでした。小さなワイナリーだから出来る個性豊かなワインと、スケールメリットを必要とする安定した品質のワイン。酒小売店は両方の良さを理解し、様々なお客様にあったワインをお薦めしなければと感じました。

 私が一押しのスパークリング・ワインは北海道ワイン トラディショナル・メソッド 北海道 Type(タイプ)M 3,344円(税込)です。日本ワインのリーディングカンパニー、北海道ワイン(株)が造る、ミドルレンジのスパークリングワイン。北海道で収穫したワイン専用品種ぶどうを、伝統的な瓶内二次発酵方式(トラディショナルメソッド)に基づいて醸造しました。白ぶどう品種を中心に醸造し、すっきりとした酸味が料理と合わせやすい辛口スパークリングです。「TypeM」はフランスのAOPムスー(Mousseux)をイメージし、ティラージュ(瓶詰め)後、デコルジュマン(滓抜き)まで9か月以上の熟成を行った、軽快なスパークリングワインです。一番搾り果汁(キュヴェ)のほか二番搾り果汁(タイユ)も使用し、バランスのよい味わいに仕上げました。なおベースワインはMLF(マロラクティック発酵)を行っています。ピノ・ブラン種、シャルドネ種、ツヴァイゲルト種等のブレンド。他の生産者がこの品質の泡を造ると2倍以上の価格になると思いますので、是非一度お薦めします。

< 2025年11月 店主の独り言 >

 10月に一人息子が24歳で結婚しました。

 私の結婚は39歳。私は9歳の時に父親が事故で亡くなり、母子家庭で育った私が38歳の時に母が亡くなりました。マザコンだった私と弟は親不孝者で、母が亡くなった翌年に揃って結婚。やがて息子が生まれても、私は毎日遅くまで仕事をしていて育児は妻に任せっきり。息子の勉強嫌いは私からの遺伝でしょうが、妻の気質を多く引き継いだようで、人付き合いも良く仕事も真面目に行う青年に育ちました。息子は高校卒業後から調理の世界で働き、下働き中は休日も職場の仕事をしていて、息子の体の心配までするほど仕事を頑張っていました。

 私が結婚した当時を考えると今の息子よりもずっと未熟で、家の事など構わずに毎日ただ美味しいワインを探して、必死に販売していました。もちろん今も大きくは変わりませんが、家業の売上を増やすことが妻を安心させる唯一の方法だと信じて残業し、皆が寝静まった家に静かに帰って寝るだけの生活でした。今思うと育児の分担も、夫婦の会話も無く、妻が良く我慢してくれたと感謝しています。

 息子夫婦は共働きなので、私と違い二人で協力し合って新生活を始めているようです。息子の式は藻岩山頂上にある「ジュエルズ」さんで、当日は天候にも恵まれて山頂からは石狩の海、札幌の都心部、北広島のエスコンフィールドまでもが眺められる素晴らしい景観の会場です。

 料理の一皿目は、古典的なフランス料理のフロマージュ・ド・テート(豚の頭部を煮こごり状にした料理)。私と弟はこんな食通向きなメニューを結婚式の宴会料理でと驚きましたが、その後も料理長の大胆な思惑に驚きの連続でした。素材は道内の身近な素材ですが、付け合わせと料理法が最先端のフランス料理で、私と弟は式よりも料理に夢中になっていました。ボタンエビと花咲ガニは茄子のペーストの上にのせられ、上からトマト風味のジュレがキラキラと輝いています。スープはとてもキメ細かなカボチャのポタージュに秋トリュフのスライスがかけられ、魚料理は上川大雪の特別純米とコンソメを煮詰めたソースの上に、輪切りの紅しぐれ大根が島に見立てて皿の中心に置かれ、網焼きされた香ばしいキンキがその上に鎮座しています。最後は有名な白老町敷島ファームの黒毛和牛フィレ肉のポワレ。2センチ近い厚さの中心は綺麗なロゼ色で、柔らかな噛み応えと旨味が溢れてきます。更に付け合わせのグラタン風味のジャガイモはミル・クレープの様に層をなして、主役のお肉を超える程の美味しさでした。

 こうして息子夫婦の為に沢山の専門の方々が協力をしてくれて、心のこもった結婚式と素晴らしい食事会を行う事が出来ました。これから若い二人は、楽しいことも苦しいことも二人で体験し、乗り越えながら本物の夫婦になって行くことでしょう。お互いに良い所を伸ばし、折れる所は譲り合って素晴らしい家庭を作って欲しい。最後に私は子供の結婚という親にとって最高の幸せを家内と共に味わえた事を感謝したのと同時に、私の両親にこの幸せを体験させることが出来なかった事を空に向かって謝り、ご先祖様、若い二人を導き、守り、祝福してくださいと祈りました。

< 2025年10月 店主の独り言 >

 私は毎日の日課で、開店前に店舗前の歩道を掃除しています。

 箒(ホウキ)を持って掃除をしていると、時々、見知らぬ方から「ご苦労様!」と声を掛けられます。すると嬉しくなって、つい両隣の歩道も綺麗にしたくなります。また、家内が鉢に植えた草花を買ってくるので、店先に置いて草木に水をあげるようになりました。せっかく水をあげるのだから、草木に「おはよう!今日も元氣(ゲンキ)に育つんだよ!」と声を掛けながら水をあげています。そんな私も20~30代の頃はタバコを吸っていて、吸い殻を当たり前の様に道路にポイ捨てしてました。その罪滅ぼしに毎日、吸い殻やゴミを拾っていますという訳ではなく、実は道が綺麗になると自分の心が嬉しくなるんです。

 前は掃除の時にビールの缶が道に落ちていると、これを飲んだ人は何故、空き缶をゴミ箱に入れないのかと一人で怒っていました。でも、うちはそのお酒を売るのが仕事です。そう気づいてからは空き缶を見つけると、昨晩これを飲んだ方は楽しく飲めたのかなぁ~と爽やかな気持ちで掃除をしています。さて店先に草花を増やしている家内は、次に自宅そばの街路樹の周りに草花を植えて、毎日水をあげています。多分、札幌市の管轄内であろう歩道上の街路樹と、その木の周りの土の所に草花を勝手に植えていいのかは分かりませんが、僕らだけではなくこの道を歩いている人が少しでも楽しんでもらえる事を願って育てています。心の片隅で、僕が生まれ育てていただいたこの街に、少しは恩返しが出来るかなと思いながら私も水をあげています。

< 2025年 9月 店主の独り言 >

 今月は花火のお話。

 一般に飲食店は週末が忙しいので、納入する当社も長い間、金曜、土曜は全員出社でしたが、スタッフが増えると平日だけでは全員の休みが消化できなくなり、週末も交代で休むようになりました。7月の私の休みは札幌・豊平川の花火大会と重なり、私にとって人生初の花火大会です。缶ビール、保冷材で巻いたロゼワイン、お弁当に折り畳みの椅子と、ワイングラスを持って準備完了。夕方、札幌の1条橋横から河原に下りて、上流に向かって歩きます。河原は子供連れの家族、若いカップル、二十歳前の若者の集団、年配のご夫婦など人で溢れていました。

 何千人以上の人がいる為に花火が良く見えそうな場所には渋滞が起き、要所には警官やガードマンさんたちが「通路部分には立ち止まらずに、移動してください」とハンドマイクで叫んでいます。何度も花火を見ている家内と息子は南9条橋を過ぎた先の河原で敷物を敷いて淡々と準備を始めます。「あっちの斜面の方が良く見えるんじゃない?」と聞くと、「混んでるし、ここでも十分見えるから」の一言。やがて空が少しづつ暗くなり、空いていた平地にも人がどんどん埋まって来ました。

 やがて空が暗くなると皆が静かになり、突然「ヒュー、ドーン」の音と共に花火が始まりました。66歳にもなって初めて間近で見た花火大会、こんなダイナミックで美しく芸術的ともいえる感動的なイベントが、何千人の観客と共に無料で楽しめる事に感謝の気持ちが沸き上がって来ます。大きな花火が上がると、私は家内と息子よりも手が痛くなるほど拍手をしていました。

 一発の大きな花火が光り輝いている時間は5秒ほどで、後には煙しか残らない。そんな儚(ハカナイ)い物だからこそ、見る者の心に深い感動をあたえるのでしょう。だから花火大会は全国各地で毎年行われ、間違いなく日本の誇れる文化という事が分かりました。さて、周りを見ると浴衣を着て並んで座っていた若いカップルが、花火が始まるとお互いにピッタリと肩を寄せ合い見入っています。この二人が花火と共に心が打ち解け、その後、一緒に生活を始めて子供が生まれ、次は家族と共に花火を見る事が出来るといいなぁと私は勝手に思っていました。こうして沢山の幸せな家庭が増えれば、この街、そして日本が益々繫栄して行く事でしょう。

< 2025年 8月 店主の独り言 >

 先月、叔母(母の妹)が亡くなりました。

 私の両親は随分前に亡くなっていたので、息子が幼稚園の頃は叔母が運動会も見にきてくれて、私の母親のような存在でもありました。私の父は祖父が経営する果物屋、フジヰ食料品店の息子として育ちました。母の伊藤家は青森の農家出身で、札幌に来てフジヰで働き父と出会い結婚したそうです。幼い私にも札幌で生まれ育った父と、地方出身の母は全然タイプが違うと思って育ちました。しかし父は私が小学校4年の時に事故で亡くなり、肝っ玉母さんタイプの母に育ててもらいました。父の藤井家は男の兄弟が3人いましたが皆、短命で、逆に母の伊藤家は女性が多く長命で、嫁いだ先で夫が先に亡くなると、うちの様に女手一つで家業を発展させる親戚がありました。

 今になって思うことは街っ子だった父はセンスは良かったが生命力が弱く、母は田舎者だけどエネルギーに満ち溢れていたので父は惹かれたのかもしれません。その子供である私と専務の弟は父のセンスと母のエネルギーを引き継ぎ、今も兄弟二人で力を合わせてワイン屋を経営しています。そしてうちの息子は調理師として飲食店で働き、専務の息子は現在フジヰの事務仕事を手伝ってもらっています。身内の死があった事で普段は考えもしない事に思いをはせ、親だけではなく先祖のおかげで今があり、今の努力の先にきっと将来があるのでしょう。

 不安定な社会情勢ですが、お越しいただくお客様に楽しんで買い物をしていただき、家族や仲間と楽しい食卓を過ごして頂ける事を願って毎日仕事を続けています。元は果物屋からこうしてワイン屋になり、将来は何屋さんになっているかは分かりませんが、次世代もお客様に喜んでいただける商売を続けて行きたいと願っています。

< 2025年 7月 店主の独り言 >

 私は中学生の頃まで札幌の北1条西3丁目、駅前通りに住んでいました。

 実家は果物屋で、小さなビルの1階で果物を売り、2~3階はパーラーフジヰというレストラン、4階に住み込みの従業員さんと共に僕ら家族も暮らしていました。僕が生まれる前から周りに土は無くアスファルトで育った町っ子。でも家内は庭のある家だったそうで、草木が好きで夢は山か海のそばに住みたいと言っています。そんな家内が札幌の郊外、盤渓(バンケイ)に土地を持つ方と知り合い、急に5月から畑仕事を手伝う事になりました。雑草だらけの斜面を、鎌(カマ)や鍬(クワ)で草を刈り、土を起し、畝(ウネ)を作ります。動ける男は僕だけなので、ひたすら鎌と鍬で雑草を刈り、土を掘って行きます。

 そんな町っ子の僕でも炎天下の中で数時間も鍬を振りかざしていると苦痛感は消えて、この一振りで30センチずつでも原野が減り、作物を植えていなくても畑が増える事の喜びが感じられて来ます。そしてちょっと大袈裟ですが、北海道の開拓者もこんな気持ちで畑を切り開いたのかなぁと思いながら、僕の頭の中では「母ちゃんのためならエンヤコーラ」とヨイトマケの歌が鳴り響いていました。当然、初日の作業後はヘトヘトになり、帰りの車の運転は家内に頼み僕は助手席で爆睡。そんな僕でも数回作業をする度に、翌朝の筋肉痛も減り体も慣れてきました。

 今は畝を作り種や苗を植えただけですが、作物を栽培するって日本人の本能に刻まれている要素の一つかも?と感じています。山を切り開くのではなく、山から斜面をお借りして表面の草を刈って作物を育てさせてもらい、秋の収穫後は斜面を山にお返しして冬は雪で覆われてお休み、そして来春には斜面をお借りする。いや山だけではなく、陽の光、雨、土の栄養分、ミミズや虫や微生物、自然環境全ての力をお借りして栽培し、その作物をいただいて私たちは生きる事が出来る、いや自然の中で生かされているという気持ちが生まれて来ました。スーパーで作物をお金で買っていると気づかなかった思いが、農作業をしたことでちょっと感じられ始めめた事で、辛い農作業も今では少し楽しみになっています。