2004年 10月

 先月ほど反響のあった<独り言>は初めてでした。そこで今月の独り言も先月の続きで車の話です。
 家内の教習所通いは2週間の登校拒否もあって、4時間の講習で済む所を1ヶ月かけてオートマ限定からマニュアル免許へ変更できました。しかも妻は自動車学校に通う条件で念願のフードプロセッサーを手に入れました。
 そうこうあって、憧れのルノー・キャトル(1990年車)が家にやって来ました。ただ日曜日スーパーへ行くのも今までとは違って、いくつかの儀式を経なければ車は思うようには動いてくれません。
 まずは5分ほど家族よりも先に家を出ます。キーを出して運転席と助手席とトランクの鍵を順番に開けていきます。古いせいか鍵穴にキーがすんなり入りませんが、無理せずになだめすかしながら行います。
 運転席に座り夏でもチョークレバーを引き、キーを2段階回しアクセルに軽く足をのせ、「お願い掛かってね」と祈ってから、セルモーターを回します。無事に掛かると、少しずつチョークを戻し始め、おそるおそるアクセルから足を放してもエンジンが止まらない状態まで暖気運転を続けます。
こうしたエンジンをかける儀式を見ただけで、家内は絶対この車は運転しないと断言しました。そして、この車は自分が憧れて買ったフランス製の重た いホーローびきの鍋、「ル・クルーゼ」と同じだと言うのです。
 このかわいい鍋で料理を造れば幸せ一杯になると思ったけれど、その重さと使い勝手の悪さでもう見たくもないと今は棚の奥で眠っています。このルノー・キャトルのル・クルーゼ説、確かに両者を見比べると、同じフランス製で古い設計時期や独自の質感など、共通点があるような気がします。
 現代は使い勝手の良い新製品がどんどん出来ています。鍋は気に入らなければ、別の鍋をまた買えばいいですが、車は1台しか持てません。僕はキャトルの使い勝手の悪さが、25年前に初めて買った軽自動車を思い出して可愛く思えるのですが、家内にとってはただのポンコツにしか見えないようです。そんなわけでキャトルは今後も二人のけんかの種になりそうです。