< 2025年12月 店主の独り言 >

 今月はワインのお話し。

 酒組合の関係で11月、小樽にある北海道ワイン株式会社(おたるワイン)のワイナリー見学に酒小売店仲間10名で行ってきました。当社は多品種の北海道産ワインを扱っていますが、近年は家族経営の小規模ワイナリーが人気で、私も小さなワイナリーばかり訪問し、最大手の「おたるワイン」さんにはご無沙汰でした。場所はJRの南小樽駅から車で15分程、毛無(ケナシ)峠に向かって登って行くと山の中腹にワイナリーが見えてきます。ワイナリーの入り口は平屋で大きくは見えませんが、実は斜面に沿って下に建物が何棟も繋がっている為、建物に入ると醸造タンクの大きさと本数が尋常ではありません。

 外国の葡萄を使わず、日本で栽培した葡萄を発酵させた「日本ワイン」の全国シェアで10%、北海道内の葡萄を発酵させたワインの約半分をここで造っています。私も何度かお会いした「おたるワイン」創業者の故島村さんは元々、小樽で紳装(シンソウ)という紳士服の会社を経営されていました。出身は山梨の葡萄農家だったそうですが、仕立てに使う生地の自動裁断機を見にドイツに行った際にドイツの気候が北海道に近く、たわわに実った葡萄を見てドイツの葡萄品種だったら涼しい北海道でも育つのではないかと思い、仕立ての仕事と共に葡萄栽培を始めたエネルギッシュな社長さんでした。

 ただ実家の山梨と北海道の気候は全く違うので、2名の社員をドイツへ3年間留学させて北海道に適した葡萄栽培と醸造を学ばせ、ドイツの葡萄品種を北海道に送り栽培を始めたそうです。ワイナリーは小樽で創業し、葡萄は縁のあった浦臼町に自社畑を作りました。こうして畑と醸造所を分けた事が、後に余市という道内最大の果樹産地の葡萄も入手出来る事になります。余市は元々リンゴの産地でしたが、リンゴの価格が暴落した時期にサクランボや葡萄に転換する農家にドイツの葡萄品種栽培を勧める事で、浦臼の自社農園とは別の葡萄を得る事が出来ました。

 現在、紳士服部門は廃業しましたが、1976年当時で売上が35億円もありオーダーメイド紳士服の全国大手だったそうです。その後、葡萄栽培、ワイナリー創業をして、国産葡萄から造られた「日本ワイン」の筆頭に立つ北海道ワイン株式会社(おたるワイン)。施設見学の後に沢山のワインを試飲しましたが、やはりこの規模で造るスパークリングワインは、品質と価格が他の追随を許さないレベルでした。小さなワイナリーだから出来る個性豊かなワインと、スケールメリットを必要とする安定した品質のワイン。酒小売店は両方の良さを理解し、様々なお客様にあったワインをお薦めしなければと感じました。

 私が一押しのスパークリング・ワインは北海道ワイン トラディショナル・メソッド 北海道 Type(タイプ)M 3,344円(税込)です。日本ワインのリーディングカンパニー、北海道ワイン(株)が造る、ミドルレンジのスパークリングワイン。北海道で収穫したワイン専用品種ぶどうを、伝統的な瓶内二次発酵方式(トラディショナルメソッド)に基づいて醸造しました。白ぶどう品種を中心に醸造し、すっきりとした酸味が料理と合わせやすい辛口スパークリングです。「TypeM」はフランスのAOPムスー(Mousseux)をイメージし、ティラージュ(瓶詰め)後、デコルジュマン(滓抜き)まで9か月以上の熟成を行った、軽快なスパークリングワインです。一番搾り果汁(キュヴェ)のほか二番搾り果汁(タイユ)も使用し、バランスのよい味わいに仕上げました。なおベースワインはMLF(マロラクティック発酵)を行っています。ピノ・ブラン種、シャルドネ種、ツヴァイゲルト種等のブレンド。他の生産者がこの品質の泡を造ると2倍以上の価格になると思いますので、是非一度お薦めします。

< 2025年11月 店主の独り言 >

 10月に一人息子が24歳で結婚しました。

 私の結婚は39歳。私は9歳の時に父親が事故で亡くなり、母子家庭で育った私が38歳の時に母が亡くなりました。マザコンだった私と弟は親不孝者で、母が亡くなった翌年に揃って結婚。やがて息子が生まれても、私は毎日遅くまで仕事をしていて育児は妻に任せっきり。息子の勉強嫌いは私からの遺伝でしょうが、妻の気質を多く引き継いだようで、人付き合いも良く仕事も真面目に行う青年に育ちました。息子は高校卒業後から調理の世界で働き、下働き中は休日も職場の仕事をしていて、息子の体の心配までするほど仕事を頑張っていました。

 私が結婚した当時を考えると今の息子よりもずっと未熟で、家の事など構わずに毎日ただ美味しいワインを探して、必死に販売していました。もちろん今も大きくは変わりませんが、家業の売上を増やすことが妻を安心させる唯一の方法だと信じて残業し、皆が寝静まった家に静かに帰って寝るだけの生活でした。今思うと育児の分担も、夫婦の会話も無く、妻が良く我慢してくれたと感謝しています。

 息子夫婦は共働きなので、私と違い二人で協力し合って新生活を始めているようです。息子の式は藻岩山頂上にある「ジュエルズ」さんで、当日は天候にも恵まれて山頂からは石狩の海、札幌の都心部、北広島のエスコンフィールドまでもが眺められる素晴らしい景観の会場です。

 料理の一皿目は、古典的なフランス料理のフロマージュ・ド・テート(豚の頭部を煮こごり状にした料理)。私と弟はこんな食通向きなメニューを結婚式の宴会料理でと驚きましたが、その後も料理長の大胆な思惑に驚きの連続でした。素材は道内の身近な素材ですが、付け合わせと料理法が最先端のフランス料理で、私と弟は式よりも料理に夢中になっていました。ボタンエビと花咲ガニは茄子のペーストの上にのせられ、上からトマト風味のジュレがキラキラと輝いています。スープはとてもキメ細かなカボチャのポタージュに秋トリュフのスライスがかけられ、魚料理は上川大雪の特別純米とコンソメを煮詰めたソースの上に、輪切りの紅しぐれ大根が島に見立てて皿の中心に置かれ、網焼きされた香ばしいキンキがその上に鎮座しています。最後は有名な白老町敷島ファームの黒毛和牛フィレ肉のポワレ。2センチ近い厚さの中心は綺麗なロゼ色で、柔らかな噛み応えと旨味が溢れてきます。更に付け合わせのグラタン風味のジャガイモはミル・クレープの様に層をなして、主役のお肉を超える程の美味しさでした。

 こうして息子夫婦の為に沢山の専門の方々が協力をしてくれて、心のこもった結婚式と素晴らしい食事会を行う事が出来ました。これから若い二人は、楽しいことも苦しいことも二人で体験し、乗り越えながら本物の夫婦になって行くことでしょう。お互いに良い所を伸ばし、折れる所は譲り合って素晴らしい家庭を作って欲しい。最後に私は子供の結婚という親にとって最高の幸せを家内と共に味わえた事を感謝したのと同時に、私の両親にこの幸せを体験させることが出来なかった事を空に向かって謝り、ご先祖様、若い二人を導き、守り、祝福してくださいと祈りました。

< 2025年10月 店主の独り言 >

 私は毎日の日課で、開店前に店舗前の歩道を掃除しています。

 箒(ホウキ)を持って掃除をしていると、時々、見知らぬ方から「ご苦労様!」と声を掛けられます。すると嬉しくなって、つい両隣の歩道も綺麗にしたくなります。また、家内が鉢に植えた草花を買ってくるので、店先に置いて草木に水をあげるようになりました。せっかく水をあげるのだから、草木に「おはよう!今日も元氣(ゲンキ)に育つんだよ!」と声を掛けながら水をあげています。そんな私も20~30代の頃はタバコを吸っていて、吸い殻を当たり前の様に道路にポイ捨てしてました。その罪滅ぼしに毎日、吸い殻やゴミを拾っていますという訳ではなく、実は道が綺麗になると自分の心が嬉しくなるんです。

 前は掃除の時にビールの缶が道に落ちていると、これを飲んだ人は何故、空き缶をゴミ箱に入れないのかと一人で怒っていました。でも、うちはそのお酒を売るのが仕事です。そう気づいてからは空き缶を見つけると、昨晩これを飲んだ方は楽しく飲めたのかなぁ~と爽やかな気持ちで掃除をしています。さて店先に草花を増やしている家内は、次に自宅そばの街路樹の周りに草花を植えて、毎日水をあげています。多分、札幌市の管轄内であろう歩道上の街路樹と、その木の周りの土の所に草花を勝手に植えていいのかは分かりませんが、僕らだけではなくこの道を歩いている人が少しでも楽しんでもらえる事を願って育てています。心の片隅で、僕が生まれ育てていただいたこの街に、少しは恩返しが出来るかなと思いながら私も水をあげています。

< 2025年 9月 店主の独り言 >

 今月は花火のお話。

 一般に飲食店は週末が忙しいので、納入する当社も長い間、金曜、土曜は全員出社でしたが、スタッフが増えると平日だけでは全員の休みが消化できなくなり、週末も交代で休むようになりました。7月の私の休みは札幌・豊平川の花火大会と重なり、私にとって人生初の花火大会です。缶ビール、保冷材で巻いたロゼワイン、お弁当に折り畳みの椅子と、ワイングラスを持って準備完了。夕方、札幌の1条橋横から河原に下りて、上流に向かって歩きます。河原は子供連れの家族、若いカップル、二十歳前の若者の集団、年配のご夫婦など人で溢れていました。

 何千人以上の人がいる為に花火が良く見えそうな場所には渋滞が起き、要所には警官やガードマンさんたちが「通路部分には立ち止まらずに、移動してください」とハンドマイクで叫んでいます。何度も花火を見ている家内と息子は南9条橋を過ぎた先の河原で敷物を敷いて淡々と準備を始めます。「あっちの斜面の方が良く見えるんじゃない?」と聞くと、「混んでるし、ここでも十分見えるから」の一言。やがて空が少しづつ暗くなり、空いていた平地にも人がどんどん埋まって来ました。

 やがて空が暗くなると皆が静かになり、突然「ヒュー、ドーン」の音と共に花火が始まりました。66歳にもなって初めて間近で見た花火大会、こんなダイナミックで美しく芸術的ともいえる感動的なイベントが、何千人の観客と共に無料で楽しめる事に感謝の気持ちが沸き上がって来ます。大きな花火が上がると、私は家内と息子よりも手が痛くなるほど拍手をしていました。

 一発の大きな花火が光り輝いている時間は5秒ほどで、後には煙しか残らない。そんな儚(ハカナイ)い物だからこそ、見る者の心に深い感動をあたえるのでしょう。だから花火大会は全国各地で毎年行われ、間違いなく日本の誇れる文化という事が分かりました。さて、周りを見ると浴衣を着て並んで座っていた若いカップルが、花火が始まるとお互いにピッタリと肩を寄せ合い見入っています。この二人が花火と共に心が打ち解け、その後、一緒に生活を始めて子供が生まれ、次は家族と共に花火を見る事が出来るといいなぁと私は勝手に思っていました。こうして沢山の幸せな家庭が増えれば、この街、そして日本が益々繫栄して行く事でしょう。

< 2025年 8月 店主の独り言 >

 先月、叔母(母の妹)が亡くなりました。

 私の両親は随分前に亡くなっていたので、息子が幼稚園の頃は叔母が運動会も見にきてくれて、私の母親のような存在でもありました。私の父は祖父が経営する果物屋、フジヰ食料品店の息子として育ちました。母の伊藤家は青森の農家出身で、札幌に来てフジヰで働き父と出会い結婚したそうです。幼い私にも札幌で生まれ育った父と、地方出身の母は全然タイプが違うと思って育ちました。しかし父は私が小学校4年の時に事故で亡くなり、肝っ玉母さんタイプの母に育ててもらいました。父の藤井家は男の兄弟が3人いましたが皆、短命で、逆に母の伊藤家は女性が多く長命で、嫁いだ先で夫が先に亡くなると、うちの様に女手一つで家業を発展させる親戚がありました。

 今になって思うことは街っ子だった父はセンスは良かったが生命力が弱く、母は田舎者だけどエネルギーに満ち溢れていたので父は惹かれたのかもしれません。その子供である私と専務の弟は父のセンスと母のエネルギーを引き継ぎ、今も兄弟二人で力を合わせてワイン屋を経営しています。そしてうちの息子は調理師として飲食店で働き、専務の息子は現在フジヰの事務仕事を手伝ってもらっています。身内の死があった事で普段は考えもしない事に思いをはせ、親だけではなく先祖のおかげで今があり、今の努力の先にきっと将来があるのでしょう。

 不安定な社会情勢ですが、お越しいただくお客様に楽しんで買い物をしていただき、家族や仲間と楽しい食卓を過ごして頂ける事を願って毎日仕事を続けています。元は果物屋からこうしてワイン屋になり、将来は何屋さんになっているかは分かりませんが、次世代もお客様に喜んでいただける商売を続けて行きたいと願っています。

< 2025年 7月 店主の独り言 >

 私は中学生の頃まで札幌の北1条西3丁目、駅前通りに住んでいました。

 実家は果物屋で、小さなビルの1階で果物を売り、2~3階はパーラーフジヰというレストラン、4階に住み込みの従業員さんと共に僕ら家族も暮らしていました。僕が生まれる前から周りに土は無くアスファルトで育った町っ子。でも家内は庭のある家だったそうで、草木が好きで夢は山か海のそばに住みたいと言っています。そんな家内が札幌の郊外、盤渓(バンケイ)に土地を持つ方と知り合い、急に5月から畑仕事を手伝う事になりました。雑草だらけの斜面を、鎌(カマ)や鍬(クワ)で草を刈り、土を起し、畝(ウネ)を作ります。動ける男は僕だけなので、ひたすら鎌と鍬で雑草を刈り、土を掘って行きます。

 そんな町っ子の僕でも炎天下の中で数時間も鍬を振りかざしていると苦痛感は消えて、この一振りで30センチずつでも原野が減り、作物を植えていなくても畑が増える事の喜びが感じられて来ます。そしてちょっと大袈裟ですが、北海道の開拓者もこんな気持ちで畑を切り開いたのかなぁと思いながら、僕の頭の中では「母ちゃんのためならエンヤコーラ」とヨイトマケの歌が鳴り響いていました。当然、初日の作業後はヘトヘトになり、帰りの車の運転は家内に頼み僕は助手席で爆睡。そんな僕でも数回作業をする度に、翌朝の筋肉痛も減り体も慣れてきました。

 今は畝を作り種や苗を植えただけですが、作物を栽培するって日本人の本能に刻まれている要素の一つかも?と感じています。山を切り開くのではなく、山から斜面をお借りして表面の草を刈って作物を育てさせてもらい、秋の収穫後は斜面を山にお返しして冬は雪で覆われてお休み、そして来春には斜面をお借りする。いや山だけではなく、陽の光、雨、土の栄養分、ミミズや虫や微生物、自然環境全ての力をお借りして栽培し、その作物をいただいて私たちは生きる事が出来る、いや自然の中で生かされているという気持ちが生まれて来ました。スーパーで作物をお金で買っていると気づかなかった思いが、農作業をしたことでちょっと感じられ始めめた事で、辛い農作業も今では少し楽しみになっています。

< 2025年 6月 店主の独り言 >

 昨年、家内が帰省した際に奇妙な靴を買ってきました。

 スニーカー風ですが、地下足袋(ジカタビ)の様につま先が親指と、残り4本指の二つに分かれていて、これで歩くと疲れないと言って履いています。この靴の直営店が東京の京橋にあるから、今度行って履いてみるといいよと言われ私も行ってみました。その日は試着に備えて、5本指ソックスを履いてお店に向かいます。「味の素」「清水建設」などの本社ビルが立ち並ぶ中で中通りに面したビルの1階にショップがありました。11:30頃でしたがお客さんは結構いて、半分が欧米の若い方、残りは私も含めて50代以上の年配の日本人。お客さんの足元を見ると、多くの方がナイキ、ニューバランス、オニツカ等のブランドスニーカーを履いていました。

 売れ筋の布生地製でソールがスニーカー風の靴を履いてみると、確かに足指が地面をつかむ感じがして具合が良いのです。しかも価格は7700円と思ったより高くありません!赤、白、黒の3色の中から黒を選びましたが、黒はつま先割れが目立たず、この日着ていたジャケットとネクタイ姿でも違和感がありません。会計後に私が履いていた靴を袋に入れてもらい新しい靴で東京を歩いてみましたが、とにかく足取りが軽くなりスタスタ歩けます。調べてみるとブランドの「マルゴ」は倉敷で1919年創業の丸五足袋(マルゴタビ)株式会社がルーツで、足袋のメーカーが外履きも出来るように足袋に当時の人力車のゴムタイヤ部分を貼り付けた「縫い付け式地下足袋」を作り発展した会社でした。

 しかしお祭りの足袋と、建築業の地下足袋では一般の方には馴染みがありません。そんな中2000年以降、欧米から「クールなニンジャ・シューズを作って欲しい」という声を受けてカラフル化とデザイン化が進み、先割れのスニーカーや靴が出来たそうです。100年以上続く足袋メーカーが新しいジャンルの商品を開発し続けた事で、デザイン先行ではなく足袋の良さを合わせ持った独自の靴が生まれたのでしょう。初めて先割れの靴を見た感じはちょっと野暮ったく感じるかもしれませんが、歩いていただくと靴の中で指が動いて地面をつかんでいる感じは他では得られない感覚です。また、メーカーのホームページを読むと、この靴は姿勢改善や外反母趾の予防にも効果があるようです。ちょっと革新的な考えと、勇気がある方にスニーカー風足袋靴をオススメします。

< 2025年 5月 店主の独り言 >

 私もたまにはお得意先の飲食店に行きます。

 4月に家族と「べつみや」さんに伺いました。ここは別宮(ベック)さんご夫婦のお店ですが、誰もが漢字を見て「ベツミヤ」と呼ぶ為、店名は間違った読み方の「べつみや」にしたそうです。ここはお手頃な料金で普段使い出来るイタリアンかビストロといったお店で、この日もそら豆とホタテの前菜から、鴨肉のステーキまでコース料理を堪能しました。所で家内は昨年からネット等でじわじわ話題になっている4毒抜き(小麦、植物油、砂糖、乳製品)をしている為、予約時に家内はグルテンフリーなのでパスタは無しでリゾット等でお願いしました。すると自家製パンも家内のは米粉で、僕と息子は小麦と別々のパンを用意してくれました。

 その「4毒抜き」とは東京の歯科医・吉野敏明氏が提唱しており、検索すれば色々出て来ますのでご興味ある方はご覧下さい。さて話は戻って「べつみや」さんのお話、このお店が昨年開店した後に美男美女のお二人に玉のような赤ちゃんが生まれました。奥様は生後2ヶ月ぐらいからベビーベットをお店に持ち込み、赤ちゃんと共に仕事を始めたそうです。伺った時も奥様は赤ちゃんをおんぶ紐で抱っこした姿で、料理やワインをサービスしていました。

 お店の運営と赤ちゃん、お二人にとってはどちらも譲れない大切なもの。方法も色々あるでしょうが、お二人が選んだのはお店での子育ての両立。奥様がいた約3時間、赤ちゃんは駄々をこねることなく寝ているか笑っていました。今日は特別機嫌が良いのですか?と聞くと、店では毎日とてもいい子ですが、家に帰ると急に駄々をこねて泣き始めるそうです。皆さん驚きませんか?生後7ヶ月の赤ちゃんが今いる場所は職場か、家か、理解しているというのです。自営業だからこそ出来る事ですが、両親が働いている姿を見ながら成長するお子さんは幸せだなぁと思います。

 そして全ての子どもは両親の愛の結晶ですが、国や社会の宝物でもあります。ですから育てるのは両親や身内だけではなく、周りも出来る範囲で子育てに協力するのが務めでしょう。この日、美味しい料理とワインを味わいながら、生まれた家庭環境はそれぞれでしょうが、どのお子さんも各家庭で健やかに育って欲しいと思わずにはいられませんでした。そんな訳で「べつみや」さんの食事は私にとって味わいを超えた感動を体験出来ました。このお店には〇シュランの星よりも輝く希望を感じました、ごちそうさまでした。

< 2025年 4月 店主の独り言 >

 2月は葡萄畑が雪の中なので、この時期に各ワイナリーさんは普段は出来ない営業活動を行います。

 この月札幌では、北海道ワイナリー協会主催のワイン会「北を拓く道産ワインの夕べ」が旧ロイトンホテルで開催され、京王プラザホテル札幌ではワインライターの鹿取みゆきさんと、道内の自然派系ワイナリーとナチュラルチーズの生産者が30軒近く参加されるワイン会「ワインヘリテージ」が開催されました。翌週は余市町のワイン生産者が主催で、余市中央公民館で行う「ワインを楽しむ会」。仁木町でもワイン生産者が主催し、仁木町民センターで行う「仮面舞踏会」と、大きなイベントが4回あり、私とスタッフの三浦で、今年は3件に参加しました。

 各イベントでは、多くのワイナリーが今年の春以降発売予定のワイン等を出しているので、私も真剣にメモを取りながら試飲します。特に2023年は暑かったので果実味が豊かですが、収穫後も暑さが続いた為に野生酵母で発酵させている所は微生物管理が難しく、揮発性の香りが出やすい環境でした。しかし多くのワイナリーは難しい環境下でも、澄んだ果実味を目指して良質なワインに仕上げていました。さて、余市のイベントは17時開始で、終了後にJRで札幌駅に着いたのは22時近く。ワインを沢山試飲した後、体はお出汁のきいた汁を欲して、二人で駅から歩いて札幌の「みよしの餃子」が運営する蕎麦屋「信州庵・札幌JR病院前店」に入りました。お蕎麦の前におつまみでも頂こうかと、メニューを見ていたらドイツのワインが3種もあり、その中にシュペートブルグンダー(ドイツ語でピノ・ノワール種)1980円を見つけ頼まずにはいられませんでした。小売りでもシュペートブルグンダーは2000円以上はするので、ハーフサイズが来ると思ったらお店の方が750mlの瓶とコルク抜きを持ってテーブルに置いて行きました。この値段だから、自分で抜いてくださいとのことなのでしょう。

 ラベルを見ると収穫年は2012年だったので、この低価格で13年前だと果実味が枯れ始めているかなぁと思いながらコルクを抜き、グラスに注ぐと熟成していますがまだ果実味も楽しめました。ただ、赤ワインも冷蔵庫保管らしく冷え冷えの状態、グラスを手で温めても木樽由来のキノコやバニラ系の熟成香は無かったので、木樽を使わずにタンクで発酵、熟成させたワインだと思います。枝豆、さつま揚げ、天ぷら、他を食べながら熟成した赤をこんな値段で飲めるなんて信じられません!最後に二人でカレー蕎麦とかき揚げ蕎麦をいただき、会計は5360円。ワインは他にリースリング種とピノ・グリ種が同価格でありました。多分、白も良い熟成をして美味しいのではと思います。

 信州庵のオーナーさんは蕎麦屋さんでもワインが美味しく飲めるお店を目指したのでしょう。基本的にはチェーン店の飲食店ですから、手打ちの十割蕎麦等の個性的な方向性ではなく、安価で多くの方が望む蕎麦を広くて明るい店内でゆったりと楽しめるお店です。でもワイン好きの方が駅近辺でもう少し飲みたい時には、750ml1本が2000円以下ですから、穴場の一つだと思います。そして結局、この日も80種程の試飲をして、更にまたワインを飲んでしまい、寝る前に少し反省した一日でした。

< 2025年 3月 店主の独り言 >

 今月は蕎麦屋さんのお話し。

 先日、家内と昼過ぎに「蕎麦ひとすじ」というお蕎麦屋さんに初めて行きました。場所は街中、南1条西4丁目の電車通り沿いで、角の「いきなりステーキ」の東隣にあるビルの1階にあります。入口の半分が冷凍蕎麦の自販機になっており、ちょっと趣は弱いですが店に入ると、店中は落ち着いた雰囲気で期待が高まります。蕎麦は二八と十割の2種があるので、私は十割でいつもの様にもりとかけの二つを頼みました。

 店の主はまだ若く30代でしょう、寡黙で職人気質を思わせるタイプ。出て来たもり蕎麦は美しく艶々しています。十割を頼むと太い田舎蕎麦スタイルが多いですが、ここは少し緑と黒みがかった細麺。まずは何もつけずにお蕎麦だけをいただくと麺のエッジが立っていて香り高く、気に入りました。次に蕎麦つゆだけを少し味わうと、辛口で切れが良く神田や浅草の名店を思わせる味わい。そして麺の端につゆをチョコンと浸けてツルっといただくと、僕の好きなタイプで幸せな気持ちになりました。

 ここのもり蕎麦はつゆと共に、塩も添えられています。前に蕎麦通の方が、蕎麦本来の味わいを楽しむには塩だけでいただくと話を聞いたことがありましたが、私も初挑戦してみます。塩で頂くと確かに蕎麦の香りが際立ち、つゆとは違った味わいが楽しめます。つゆ、塩と交互に味わうという楽しい経験が出来ました。そして温かいかけ蕎麦、冷たいもりのシャープな味わいと違って、こちらは色調も淡くお吸い物を思わせます。お出汁の旨味をたっぷり味わえる温かいつゆも大変美味しく、ここでは冷たい蕎麦と、温かい蕎麦の両方を味わうことをお薦めします。

 家内が頼んだ玉子焼きは、甘味少なめの出汁たっぷりな味わいで大変美味しく、蕎麦前の他のおつまみも期待が出来ます。この日は休日の昼すぎでしたので家内と二人で日本酒をいただきました。吟醸香が少めと頼むと、良質な純米酒を楽しめました。街中にいて食事に困った時には、是非一度お試しください。そして最後に一言、希望を言わせてもらえば、入口の自販機は無くてもいいかなぁ。