2006年 2月

 仕事が遅い私は、忙しくなると店で徹夜をします。地下街は夜12時すぎに全ての出入り口が閉められると、地下鉄が動き出す朝6時まで閉鎖され、外に出ることが出来ません。徹夜仕事の途中でトイレに行く時、照明が消され人っ子ひとりいない地下街を歩くのは不気味なものです。

 警備室に残業届けを出して仕事をするのですが、何年も前に当直のガードマンさんと話をしていてトイレの話になりました。「男性用よりも女性用の方が落書きが多いのですよ」と言われて興味を持った私は、その方にことわって誰もいない女子トイレに入ってみました。

 そこで驚いたのは落書きではなく個室の数です。男性用は小用が6個と個室が4つ。女性は必ず個室を使うので私は10ぐらいあると思ったのに、確か6つしかありませんでした。地下街で働いている人は圧倒的に女性が多いので、これは問題ですよね。

 話は戻りますが、シャッターの中で仕事をしていても、10時を過ぎる頃から人の流れが逆になり大通駅に向かって行くのが分かります。時々大声を出したり、歌を歌ったり、楽しい一時だったのでしょう。 私はこの中の何人かの人はうちの得意先で、フジヰのお酒を飲んでくれたのかなあナンテ考えながら仕事をしています。

 酒屋は皆さんの楽しい一時をお手伝いする仕事だから、皆さんが楽しんでいる時に働き、逆に皆さんが働いている時に私たちは休める因果な商売です。

 今月私のお薦めは、赤が今月のリスト52番のデュラトンの1ランク下で、1月リストに出ていたアルトス・デュラトン01年¥1,200と、白は54番ドイツのリーザーです。

 スペインは今最も熱いワイン産地ですが、若いワインが多い。そんな中このワインは現代的な果実味と5年を経た熟成感が上手く調和して大変気に入りました。 本来なら今月のリストから選ぶべきですが、このワインの社内試飲が2月になってしまった為です。

 一方、白はドイツワインです。ぜひ一度お刺身で醤油にレモンを搾ってこのワインをお試しください。魚のお刺身と酸味豊かなリースリング種の絶妙なハーモニーに驚かれることでしょう。

 最後にスタッフのメンバーチェンジ等もあって、今月のワインショップフジヰニュースの発行が遅れてしまいすみませんでした。

2006年 1月

 昨年の大晦日も、私は札幌時計台の鐘の音を聞きながら年越しです。

 寒い年は何を飲んでも炭酸水にしか感じられませんが、今年は例年に比べ温かかったので持参したシャンパーニュ・ブラン・ド・ブランの味わいを楽しむことができました。

 すぐ横の大通公園で行われているカウントダウンイベントの何万人とは比べものにはなりませんが、今年は得意先の「イーストン」、「バールバゲット」、「キャトレール」さんを始めとした12名にご参加いただき楽しく新年を迎えることが出来ました。

 毎年のことですが、寒い野外で時計台の文字盤を見上げながら、震える手で冷えたシャンパーニュを飲んでいると、何故自分はこんなやせ我慢をしているのだろうか?と思えてきます。しかし身も心も冷え切った後に聞く12回の澄んだ鐘の音は、私にとって煩悩を消す除夜の鐘の様に体に響き渡るのです。

 前々回から来ている女性の方からおもしろい話を伺いました。04年大晦日の後日、家の中が生臭い為臭いの元を探すと、自分のバッグから匂っている。中を覗くと底に干からびたキャビアがあったそうです。この年はとても寒く、クラッカーにのせたキャビアを持つ手が震え、こぼれたのでしょう。

 今年の大晦日もシャンパーニュとグラスとキャビアを持って夜11時頃から時計台にいますのでよかったら参加してみませんか?参加費は無料ですが、飲み物、食べ物、グラスの持ち込みは大歓迎です。どうぞ暖かい格好でいらしてください。


 さて当社で何年も働いてくれた小田と永井が退社することになりました。共にワイン好きなので、今度はお客として当社のお得意先に伺うかも知れません。その際は宜しくお願いします。

 今月私のお薦めは19番と32番のブルゴーニュ赤。最良の作柄だった96年のピノノワールが、10年を経て良い感じでこなれてきた19番。しかもこの年は伝説の前オーナー、ジェラール・ポテル氏が仕込んでいます。

 通常ピノノワール種にガメ種をブレンドすると、ワインはパストゥーグラン規格になりますが、クリュ・ボージョレはブルゴーニュ・ルージュにブレンド出来ます。法の盲点を突いたこの32番のワインには4割のガメが入っています。この様な低価格ですが、熟成したブルゴーニュの風味が楽しめました。

2005年 12月

 11月、私はワインでお世話になった方の娘さんの結婚披露宴に出席する為、東京に行って来ました。当然会場にはワイン関係の方が多く、私と同じテーブルには山形タケダワイナリーの社長さんと、長野の小布施ワイナリーの専務さんがいらっしゃいました。
 この日のワインは厳選された物ばかり。乾杯用のコント・ド・シャンパーニュ95年以外は全て6リッターのマチュザレム瓶入りです。この特殊な大瓶は酸化が進まず長期熟成には最適なのですが、ワインの瓶詰め前に現地へ予約をしなければ手に入らない大変貴重なもの。約10年前のブルゴーニュ特級畑のマチュザレム瓶が何本も並んでいると、私のテーブルでも今日はひたすらワインを楽しみましょうというムードです。
 そのブルゴーニュワインを一巡した後に、同席したワイナリーのお二人が造ったワイン(タケダさんのキュヴェ・ヨシコ96年と小布施さんのヴァン・ド・パイユ)がサービスされました。2本共とても美味しかったのですが、造っている方のお話しを伺っていると、この年はこうだったが今はこういう形に醸造を変えているとか、来年はこうしてみたいとか、とにかくお二人は更なる努力を考えているようです。
 こうして私たちが食事をせずに試飲だけをしていた所に、花嫁のお父さんが来ました。「前沢牛を食べたかい?」 と一言。メニューを見ると「前沢牛のほほ肉煮込み、ボルドー風」と書いてあります。なんでも、知り合いの牧場の方から特別のほほ肉をいただき、有名なシャトー・ランシュ・バージュ98年で煮込んだと言うのです。この一言で私は席を離れ、バイキングスタイルのお料理コーナーでも前沢牛の所に向かいました。この料理を契機に私の胃は急に活動を始めてしまい、気が付くと目に付く料理を手当たり次第にガツガツと食べていました。後で食事のメニューを見ても、自分は何を食べ たのかが分からないという情けない状況です。
 私の息子はまだ4歳、結婚式は20年以上先でしょう。その時私はエゾ鹿の料理にシャトー・ランシュ・バージュのソースをお願いするのでしょうか?名古屋の嫁入りだけが有名ですが、親が娘を思う気持ちは皆同じなんですね。立派な式にしたいと願うお父さんの頑張りと、それを受け入れたうえ で素直にこの式を楽しんでいる新郎新婦を見ていて、このお二人の幸せは末永く続く様な気がしました。
 さて、先月10月号のリスト92、ロマーノ・レヴィ、グラッパの説明文で「確か、札幌で彼の工房に行き購入できたのは「ザ・ボウ・バー」の本間氏ただ1人でしょう」と書きましたが、さすがは人口187万人の札幌。イタリア料理店カンティーナ・ピエロボックス(中央区南2条西3丁目カタオカビルB1F)のオーナー鈴木様から「私も99年11月に行って来たよ」とご指摘をいただきました。ここに訂正をさせていただきます。

2005年 11月

 今月はワインのお話しです。
 フジヰでは毎週、産地別に20種前後のワインを試飲しています。中でも10月末に行ったフランス・ブルゴーニュ地方産白ワインは興味深い味わいの物が多く、印象に残りました。
 まずは、ブルゴーニュで最高の作り手といわれるルロワが、自社畑でビオディナミ(無農薬有機農法)のアリゴテ種から造ったワインです。この地方ではシャルドネ種が上等で、アリゴテ種は下位の品種と見なされています。そんなことはお構いなしに意地で造ったようなこのワインは、凝縮が強烈すぎて液体ではなくゲル状の物を口に含んだような濃さです。試飲の印象も抜栓翌日の方が風味が広がっていたので、白ですが飲まれる際はボルドー産の赤ワインと同様にデキャンタに移し替えた方が風味が開いてくれると思いました。
 次はシャルドネ種からのワイン。ワイン好きにとってシャルドネは樽とセットで語られます。ですから新樽の比率と樽熟期間、樽も何処産の材木を使うか、どの程度木の内側を焦がすか、といったことが一番の関心事です。シモンビーズ家でも当然シャルドネ種は木樽で熟成をさせていますが、04年産ブルゴーニュ・シャルドネは自然派ワインを意識して葡萄本来の味わいを追求し、タンクで発酵、熟成を行った新しいスタイルの白です。
 テースティング時の香りは果実の風味よりもヘチマや石灰などを感じました。味わいは素っ気ないほどするっと飲めちゃいますが、余韻にきめ細かな酸味とミネラル感がすーっと伸びてきます。再度口に含むとキュウリや野菜の風味を感じますが嫌な青さが無く、余韻の澄んだ印象はアルザス地方のリースリング種をイメージさせる、まか不思議なシャルドネワインでした。
 ルロワの「これでもか!」というアリゴテと、シモンビーズの化粧をせずにすっぴんで勝負するシャルドネ。ワインは赤というイメージが強いですが、私のマイブームは最近白ワインです。

2005年 10月

 私の愛車となって1年が過ぎた90年式ルノー・キャトル。この運転席のシートの下にはスニーカーが転がっていますが、この靴の使い道を知る人は多分いないでしょう。
 低血圧の女性の様に目覚めが悪いこの車。特に冬は外と同様の寒い車内で、エンジンを掛けた後もアクセルペダルに足を乗せた状態で10分以上暖めてやらないとエンジンが止まってしまいます。その辛さから思いついたのが、古いスニーカーに重りを入れ、アクセルを軽く踏んだ状態にする方法です。
 さらに古い車ですから運転をしていると、いろいろな部品が外れたり壊れます。ここで私が困った顔でもしようものなら、妻は「普通の車に換えましょう」と責めるため、冷や汗をかきながらもクールな顔が出来るようになりました。
 このような立場の弱い私にとって、8月にフランスからシモンビーズ一家が来てキャトルを褒めてくれた時は感激でした。ビーズ家の車は奥さんがメルセデスで、旦那さんは私と同じルノー社のカングー(後ろの荷台の天井が高く荷物が沢山積める車)だそうです。聞くとワイン農家では、お客様のお 迎え等があるので奥様は豪華なサルーンに乗り、旦那さんは畑作業があるので荷台のある車、という組み合わせが多いそうです。リアカーにエンジンとトタン屋根を付けた様な簡素な外観と、アクセルを床まで踏んでも110キロしか出ない性能ですが、フランスかぶれの私にとってキャトルは手の掛かるペットの様に可愛い存在です。

2005年 9月

 8月初旬、仏ブルゴーニュ地方のワイン生産者シモン・ビーズ一家が札幌を訪れました。今札幌では月に何回かメーカー主催のワイン試飲会が行われています。その際に現地の方が来る事も珍しいことではありません。しかし、今回のビーズ一家はバカンスの途中で試飲会を開く形だったので、お子さんも参加してのアットホームな雰囲気の会でした。
 後で話を聞くと、日中、夫のパトリックさんは大通公園のビアガーデンでビールを飲み、お子さん二人は9丁目の公園で水遊びをしていたそうです。
もちろん試飲会となれば、日本のブルゴーニュファンはマニアックですから質問もビオディナミ(無農薬、有機栽培法)の事や、他の生産者の事まで熱心に聞いていました。私が興味を持ったのも、そのビオの話です。
 奥さんの千砂さん自身も興味があって、ビオの研究会に参加してかなり勉強したそうです。そして思ったことは、素晴らしい栽培法だが制約が多いということです。ビオは無農薬の代わりにプレパラシオンと呼ばれる自然の物質から生成された数種の調合剤を、それぞれ月の歴で決められた日に畑に散布します。ビーズ家の畑23ヘクタールはいくつもの村に点在しているため、決められた日に全ての畑に与えるにはヘリコプターを使わなくてはならな い。でも無農薬の為にヘリコプターを使うのは矛盾してはいないだろうか?
 さらにパトリックさんは「毎日畑に出て木を見ていれば、葡萄は何を欲しているのかが解る。何も欲していない木に、暦だからと物質を与えるのは間違っている。」と言っていました。
 私は妻からよく「なぜ私の気持ちが解らないの!」と抗議されます。それなのにパトリックさんは、喋らない木の気持ちが解ると言うのです。
 最終日、ビーズ一家と私は三笠の山﨑ワイナリーを訪問しました。醸造所で2時間以上話をした後、あいにくの雨でしたが畑に出ました。白葡萄ケルナー種の所で山﨑さんが「ケルナーは毎年肥料を欲しがるのです。」と言いました。千砂さんが通訳をして伝えると、パトリックさんは「ピノは?」と問い、山﨑さんは「いやピノノワールは肥料を欲しがらない。」と答えました。
 私は気付きました、ブルゴーニュだけでなく三笠にも、木の気持ちを解る人がいる。
パトリックさんは「今年の収穫は9月15日の予定だ。息子さんをその時期フランスに来させられないか?」山﨑さんは「うちの収穫は10月だから大丈夫、息子をお願いできますか。」と言うと、パトリックさんは「今年は収穫時だけでも、来年は1年間かけて栽培を学びなさい。」と言ってくれました。
 私は木の気持ちは解りませんが、こうして初対面の人間が同じ「百姓魂」を持つことで解り合える姿を見ていると、ワイン屋をやっていて本当に良かったという実感がこみ上げてきました。
 最後に息子の亮一さんは05年9月9日出発が決まりました。   

2005年 8月

 今月、弟夫婦に待望の赤ちゃんが産まれました。
 私と弟は幼い時に父を亡くし母子家庭で育ちました。そのおかげでマザコンが抜けず、兄弟共に結婚出来たのは7年前に母親が亡くなってからという有様です。
 今、私の子供は3歳。息子の寝顔は天使に見えるのですが、幼稚園に通う中でだんだんと自我が芽生え、親の思い通りにはいかなくなりました。しかし、弟が生まれたばかりの赤ん坊を抱いている姿を見たとき、ある詩を思い出したのです。その詩は妻が教会からもらった印刷物に書いてありました。

君は愛されるため生まれた
君の生涯は愛で満ちている
君は愛されるため生まれた
君の生涯は愛で満ちている
永遠の神の愛は 我らの出会いの中で実を結ぶ
君の存在がわたしには どれほどおおきな喜びでしょう
君は愛されるため生まれた
今もその愛 受けている
君は愛されるため生まれた
今もその愛 受けている

 3年前に子供が産まれ、無我夢中で生活していた私たち家族。そして今、弟家族がその生活に突入しました。あの頃妻が言った「一度でいいから、熟睡してみたい」。全て赤ちゃんを中心とした生活は、今までの夫婦二人の生活とは180度異なるもので、当時の私にはこの詩のような感傷にひたる余裕はありませんでした。でも、実は余裕がないほど愛に満ちた生活だったという事が、子供を抱く弟の顔を見て分かりました。子育ては振り返った時に喜びを感じるものなのですね。

2005年 7月

 今月はマニア向けかもしれませんが、戦車のお話です。
 陸上自衛隊、千歳基地の一般開放が6月5日にあることを知り、妻の反対を押し切って家族で行ってきました。
 スケジュールは朝早くから行われており、戦車、装甲車400両による日本最大のパレードには間に合いませんでしたが、戦車による模擬戦闘を少しだけ見ることができました。
 まず驚いたのは戦車の走るスピードです。ゴジラなどの怪獣映画で戦車は、のろのろと発射位置に着きおもむろに大砲を撃ちますが、実車は荒野の中を多分70キロ以上で走っていました。そして急停車して大砲を撃つのですが、車体が何十トンもの重さの為、急停止後に車体が船のように大きく前の めりに揺れるのです。大砲を撃つ時は平地でなく、木陰や起伏のある手前に戦車を止めて筒先だけが外に出る位置で撃っていました。
 その模擬戦闘にはヘリコプターも参加していました。地上すれすれの高さで前のめりになって進む姿を見ていると、まるで糸で吊られて引っ張られているようです。3歳の息子は昨年まで「ドーン」という音が怖くて、花火大会が始まると布団の中へ隠れて出てきませんでした。その息子がすさまじい 爆撃音の戦車戦を食い入るように見ているのです。
 別の広場にはいろいろな戦車が並んでいて、乗る事も写真を撮ることも出来ました(内部の撮影は不可)。戦車は遠くから見ると平べったくてゴキブリのようですが、近くで見ると実はとても大きくてマイクロバス位の高さがありました。古い戦車が陳列されている会場では、なんと第二次大戦アメリカ軍のM4シャーマン戦車をベースにした、故障した戦車を運ぶトレーラーがありました。芋虫のような車体と、同時期のドイツ戦車と違ってシンプル な車輪は間違えようがありません。
 一緒に行った妻は、ウキウキ状態の私とは反対にずっと沈んでいました。「戦争で人を殺す兵器を見ていて何が楽しいの!」この一言に私は全く反論はできません。でも、男の子は乗り物が大好きで、乗用車よりは性能を高めたレースカーが格好いいと思うように、究極まで性能を追求した戦車や戦闘機は別格の迫力があります。
 息子は途中から機嫌が悪い妻に気付いたらしく「戦車怖い」と言ってママに甘え始めました。そんな二人の視線を尻目に、私は1人戦車体験試乗コーナーへ向かった為、当然帰りの車の中の会話はありませんでした。

2005年 6月

 5月に得意先のレストラン「ジャルダン・ドゥ・ボヌール」さんから、南仏の有名レストラン「レ・ムスカルダン」のシェフ、ティエリー氏を招いての食事会の中でお客様にワインの話をして欲しいと依頼を受けました。
 週末の営業はウェディングのみと言うこのレストランは、とにかく豪華で山の手界隈の奥様に人気の理由がわかります。私が会場に着くと、こちらの社長さんより黒服のほうが良いのではという助言があり、急きょ私は蝶ネクタイと黒服を着せてもらいました。
 まずは昼の部が始まり、いよいよ自分の出番です。すると初めての環境で着慣れない服を着たせいか、マイクを持つ私の手はブルブルと震えだし、原稿を棒読みするのが精一杯でした。
 そこで夜の部では早めに会場に入り、キッチン横の給仕控え室で原稿を何度も読み返し本番に備えました。この様な食事会となると通常のスタッフでは人手が足りないので、知り合いのお店に助っ人をたのむのが普通です。給仕控え室で見ていると、助っ人の方々は張り出されたメニューを何度も見て は、ここのお店の方にナイフやフォークのセッティング等を聞いています。
 シェフが挨拶を終えて厨房(ちゅうぼう)に戻ってくると、いよいよ戦闘開始です。料理は各テーブルごとに作られ、テーブルごとに運んで行きます。給仕の方は料理が仕上るまでの間に「これは何のソースか?」「この付け合わせは?」と調理の方に質問をぶつけています。そしてシェフの「よ し!」の一言でトレーを持った給仕が、お客さんの待つホールへ飛びだして行くのです。
 そして全てのテーブルに配り終えた頃、最初に出した皿が空となって戻ってきます。その下げてきた皿を洗い場に置く一瞬に、給仕の方はスマートに指を使ってソースの味見をしているのです。お客様からワインに関しての質問があると、すぐ私の所に来て意見を聞きホールに戻って行きます。
 今回はレストランを裏側から見たことで、給仕とはお皿を右から左へ運ぶだけではなく、シェフとお客様の重要なパイプであると言う意味が初めてわかりました。
 厨房の横では見習いなのでしょうか、若い男性が黙々と食器を洗い続け、若い女性がグラスやシルバー類を磨き終えると、ナプキンをきれいにたたんでいました。彼らも近い将来、調理かホールの給仕に立つのでしょう。思わず「がんばれ!」と声を掛けたくなりました。

2005年 5月

 今年は例年より肌寒い春ですが、4月に息子の幼稚園の入園式がありました。
 親にとって初めての入園式は感慨深いものがあります。息子が先生の前で緊張してイスに座っている姿を見ていると、親バカも加わって「もしかしてうちの子、なかなか良い子じゃない?」と思ってしまうのです。毎日見ているせいで、子供の日々の成長に気が付かなかったのでしょう。そう思うと40年前の私の入園式で、多分落ち着きのない子供だった私を見て、今は亡き私の両親はどう思ったのかが知りたくなりました。
 私が子供の頃は、時計台そばにあった実家の果物店の4階に住んでいました。両親が店を閉めて戻ってくるのは毎日10時か11時。当然僕ら子供も寝るのが遅くなり、私は幼稚園の送迎バスに何度も乗り遅れました。さらに遅刻をして幼稚園に着いても、所かまわず騒いでばかりいて先生を困らす問題児でした。
 その後、私は小、中、高と先生を困らす問題児のまま大きくなり、色々寄り道をしながらやっと大人になりました。自分は問題児だったのに、自分の子供には寄り道せずにストレートに良い子になって欲しいと願ってしまうのが親なのですね。
 今は天国にいる「おとうちゃん、おかあちゃん、心配ばかり掛けてごめんなさい。息子は優等生ではなかったけれど、孫は良い子になるように見守ってください」と仏だんの写真に手を合わせました。